前回の記事『初めてのパニック発作と救急車と私~その1~』は読んで頂けたでしょうか?
まだの方は↓からどうぞ。
2007年に初めてパニック発作を起こした私が、先日人生で2度目の大きな発作を引き起こしました。
それをきっかけに、改めて初めて発作を起こした時と「救急車んで!」という事について書いてみました。
それでは、パート2になります。いよいよ救急車登場か!?!!
パニック発作なう
今回の物語は、前回に続き深夜にパニック発作を起こしてからの話となります。
このブログをご覧頂いてる方々の多くはパニック発作をご経験されてると思いますので、よろしければ私の初体験がどういったものだったのか、ご自身の経験と比較し、情報共有なさってみてください。
色んな人の発作の情報を見るだけでも、「あぁ自分だけじゃないんだ」って安心出来る部分がありますよね。
人によって発作の症状はイロイロ違ったりしますし、その時の対応とかリアクションもそれぞれ違うはずです。
私が初めてのパニック発作の時にどういった行動を取ったか、その辺りにも着目頂けたら幸いです。
ではスタート。
はじめてのパニック発作
時間にして深夜2時。普通の人でさへ不安の出る時間帯に発作は起きました。胸部の痛みが昼間より強くなって目が覚めました。
それを誤魔化すように、みぞおち辺りを叩いたり当然人並みの対処はやったつもりです。しかし痛い、、、痛みがあまりに強く不快であるため、その痛みに対する不安が生まれます。
「ん?(これは)心臓の発作?」
こんな心理が生まれます。この心理が私にとってのパニック発作のトリガー(きっかけ)であったと思います。
この心理状態になってからは、横になって安静であるハズなのに呼吸が乱れて、その回数も早まりました。ドンドンと脈拍が早くなるのが分かります。この時、頭の中では色んな負のイメージが湧きます。
何かのドラマで見たような、毒を盛られて「うううっ!!!」っと苦しむ三文芝居みたいな感じとか、高齢者が胸を押さえて「うっ!!」っと苦しみしゃがんで、「おじいちゃん大丈夫?!!」と駆けつける家族でも出てきそうなイメージです。誰一人駆けつけてはくれませんでしたが(笑)。
ものの1~2分で人生で経験したことの無いような動悸が起きるわけです。マラソン大会のゴール後よりもキツく、暴走族の時にバイクから落ちて、警察から逃げた時よりも心臓はバクバクいってるワケです。
嫁に「ヤバイ、、、死ぬかもしれん」とだけ告げて、ベッドを飛び降り錯乱状態。5秒ほど寝室をウロウロ歩き周ります。
次に出た言葉は「あーーー頭がおかしくなるーーー」だったかな、、、意識が飛びそうという感じでしょうか。”気が狂いそうになる”という表現をされる方がいますが、まさにそれです。自分が自分で無くなるような感じが一気に押し寄せる感じ。わかるかなぁ、、、。
そのままの勢いでリビングへ駆け込み、ソファーにうなだれて「死ぬ、、死ぬ、、、ヤバイ、、、助けてぇぇ!!!」と細い声で叫んだのを覚えています。
母親も飛び起きて(私がリビングに入った時に、その勢いで母の部屋をノックしたのだと思います)、相当不安そうに私に声を掛けてきます「どうしたとね?」と。
こういう時に無力である母の事を知ってる私は、余計に不安が増しました(母に声を掛けた事が逆に大失敗)。
返答すら出来ずソファーにうなだれたり、じっとしてると気が狂いそうなのでウロウロしたり、引き続き「あーーー頭がおかしくなるーーー」と言ったり、「苦しいー」とか「心臓がヤバイ」とか色々と症状を誰に言うワケでも無く連呼したあとに、「救急車呼んで!!」とラストコール。
おそらく、最初に飛び起きてから5分程度の出来事だったと思います。
基本的に何にでも我慢強く、痛みや苦痛には慣れていたハズの私が、人生で初めて自分の為に「救急車を呼んでくれ」と言った初めての日でもありました。
この時、まだ私はこの一連の症状がパニック発作であることを知りませんでした。心臓発作と思っていました。
救急車は来ませんでした
慌てふためく私と母を他所に、比較的冷静な嫁と物言わぬ赤子の娘(生後4ヶ月)。
私の「救急車呼んで!!」という声に嫁がこう続きました。
「マジで言いよると?(マジで言ってるの?)」
更にこれに続いて私が「マジ、、、頼むけん呼んで」と見せた事のない弱い姿で言います。
母が電話を取ろうとしましたが、嫁が「いいよ、お義母さん…私が連れて行くけん」と言いました。
こういったやり取りの最中に、私の症状と言えば脈拍は少し落ち着き、呼吸の乱れも一旦コントロールできるトコまで復帰してたように思います。
と同時に身体的症状の異常を見つけます。手足の異常な発汗と、温度感覚の異常?のぼせのような感じ。そして、”震え”です。
※私の症状が少し落ち着いたのは、もしかすると、家族全員に自分の不調を見せる事が出来たからかも知れませんが、理由は不明です。
アゴを噛みしめるような感じで、震えが出始めました。全身の痙攣とも言えるでしょうか、そこまで寒いワケでも無いのに、全身とアゴが震えました。パニック発作の症状で言うトコの「身震い」でしょうね。これが怖かった、、、怖かったけど、この頃には頭はワリと冷静で正気を取り戻してる感じでした。
嫁は看護師をやってた事もあってか(本意は謎です)、「私が連れて行くけん(救急車は)呼ばんでいいよ」と母に言ってました。
私もそれに納得したのでしょう、毛布で全身を包み車に乗り込みました。自分でよく動けたな、、、と今となっては思います。
当時を振り返ってみると、嫁の放ったこの「救急車呼ばんで良い(救急車は呼ばなくて良い)」は10年以上経った今でもトラウマのように記憶に残っています。氷のように冷たく冷めた口調で嫁が言ってたのを、朦朧とする意識の中で私の記憶はインプットしたのです。
どういうつもりで言ったのか、言及したような記憶もありますが、深夜で迷惑だとか車で送れるからとか、見た感じ大丈夫そうだったとかそんな風に返されたと思います。
いずれにしても私の身体的症状を客観視して、元看護師の嫁が”救急車を呼ぶ必要は無い”と判断した事。結果それは正しかった、、、”緊急性を感じなかった正しい判断”だったという結論にしておかないと、私は今でも胸のシコリが消えないままになるでしょう。
最終的にパニック発作を起こしても「近親者から救急車を呼んでもらえないかも?」というトラウマが発作の最中等に頭をよぎるきっかけとなってしまいました。
パニック障害という病気もですが、私はこうした嫁や家族とのやり取りにおいて、家庭生活等も含めてこれから先長い期間にわたり苦しむ事になります。
自宅~病院~そして自宅へ
嫁の運転する車に乗り込みます。恐らく発作から10~15分くらい経った頃だと思います。
まさかですが、生後4ヶ月の娘を連れてです。嫁も不安だったのかも知れません、、、という事にしておきます。
自宅から数分のトコにある、H病院へ行きました。私は速攻で「K病院」と言ったはずなのですが、H病院も救急をやっていると嫁が言ったか言ってないか忘れましたが、車は一路H病院へ向かいました。この時私の身体はブルブルと震えていました。アゴもガクガクと震えてまともに喋れなかったのを覚えています。
H病院の受付で救急に対応出来る内科医師が不在?という感じで、結局NG。
K病院へ向かいます、、、最初から行っていればもう着いていた時間くらいだと思います。
もう「どこでもいいから病院につれていけ!」と内心でキレで、現実は泣いてました。
そこから10分15分程度で、K病院の救急の受付に向かう嫁。私は車内で待っていたと思います。
記憶が若干曖昧ですがストレチャーとかに乗る事なく、看護師が迎えに来たと思うので、そのまま多少サポートを受けながら徒歩で病院へ。
救急処置室へ入ってストレッチャーへ乗る私。医師から「心電図」と指示が飛びます。今みたいにハンディ型とかは無かったので、ものものしい心電図の装置が私の横に来てサクっとセンサーを付けられました。その手際の良さは流石救急の医師といったとこ。
たしか嫁が娘を抱っこしてERに入ってきたと思います。足元の付近にそれが見えました。
私は意識が朦朧としていましたので、目はうつろ。「(きっと異常が出るんだろうな、、、心臓の手術こえーな)」と思っていました。
頑張って!お父さん!
みたいな事をナースに言われました。
おかげで余計に「あぁ、、、このまま死ぬの?心臓病で一生苦しむの?」という不安はピークに達します。
異常なしだね!
こんなやり取りがものの数秒の間に行われました。
そう、、、異常なしだったのです。逆に心臓だけで言うと若い人の波形が出てるとも言われました。
パニック発作で運ばれる人の殆ど(ほぼ全員)が「異常なし」と診断を受けます。その後の受診でも、異常がある事はまずありません。それがこの病気の一番厄介なトコです。
兎に角異常なしと言われた以上、何も処置する事が無いんですが、医師から「ちょっとお疲れだったんでしょ」みたいな事を言われて、点滴を受けて一晩入院という事になりました。
当然、嫁と娘は点滴をする処置が終わったら帰りました。
私は色んな不安に包まれる中、暗い病室で静かに点滴が終わるのを待ちながら、そのまま寝たか寝てないか分からないまま、外が明るくなって来た事に気づきました。
夜が明ければ月曜日。タクシーで一人帰宅して、自宅で眠る嫁に報告。
とりあえずその日は仕事を休んで、ゆっくり過ごしたと思います。その時着ていたジャージは今でも覚えてて、たまに見るとこの頃を思い出します(まだ持ってるのかよ)。
上記を読むと、嫁さんに悪いイメージを与えそうな内容ですが、自分なりに冷静な目線はちゃんと持ってるつもりです。ここでは善悪や正しい正しくないは抜きにして書いております。好き嫌い・善悪・良識常識を抜きにして、冷静に状況や心理を説明したいのが目的故の表現です。でも、意外とご家族の対応に不満がある方って多いですよね。
初めてのパニック発作=救急車呼んで良い!になる理由
私の初めてのパニック発作は、「救急車を呼んで!」とは言ったものの、実際に呼ぶには至りませんでした。
しかし、パニック発作を起こした人や過呼吸症候群(過換気)になった人の多くは初めての発作の時に、救急車を呼んだ事があるそうです。
実際に多くの患者さんのブログやフォーラム掲示板等を見てきましたが、救急車を呼んだ人が大半で、そうでない人でも”呼びそうになった”とか家族に”救急車呼んで”と伝えた、という事を仰っています。
私は経験者として言いたいのですが、初めてあの発作を経験して冷静に対応出来る人はほぼいないと思います。経験した事のない身体症状を感じて救急車を呼びたくなる事は、決して間違った判断では無いでしょうし、この記事にも書いたように救急車は呼んで然るべきだと考えます。
その理由を少し書いてみます。
救急車を呼べば助かる
まず、パニック発作や過呼吸症候群であれば”救急車を呼べば必ず命は助かります”。逆に言うと呼んでもダメな時は何をしてもダメ、日本の最先端救急救命を受けてダメということですから、諦めるしかありません。つまり…
救急車を呼ぶ事が可能な時は呼びましょう
これは絶対です。でないと何か後悔やシコリが残ります。
”呼んでおけばよかった…”という後悔と”呼ぶ必要が無かったのに…”という後悔では、前者の方が強い後悔となります。
逆に「(何かあっても)救急車呼べば大丈夫」という意識を強く持てれば、それだけで発作への”抵抗力”が出てくるパターンもあると思います。
予期不安や軽い発作程度の場合は、このブログで紹介している呼吸法等でコントロールするようにトライしてみてください。
そして、救急車を呼ばないなら呼ばないで結局「何の症状なんだ?」とか「脳に異常があるんじゃないか?」とかイロイロと不安が残り、結局病院に行くハメになりますし、その時には発作が治まっているので”異常なし”と言われて余計に不安が残ります。出来ればパニック発作の状態を見てもらった方が、正しく診断されると思います。
「パニック障害ですね」とか、「過呼吸症候群(過換気)ですね」と医師から言われるだけで、安心出来る事もあるでしょう。
何を隠そうこの日から私は「パニック障害」と診断を受けるまで、3週間近く一人で闇を彷徨う事になります。毎晩軽い発作が続いたり、似たような精神状態になりかなりメンタルが壊れて始めていました。
救急車は住宅街で5分程度、市街地でも10分程度で到着します。
その時にパニック発作の症状等が残っていれば、救急隊員も状況を把握しやすいのでドクターに伝わります。
救急車には心電図やモニター、AEDや呼吸装置も当然あるので、近所の個人病院なんかよりも優秀な設備で、もし意識が無くなったり仮に死んでも蘇生出来るわけです。
日本の救急救命は優秀です。間違いなく到着したら助かります。ってかパニック発作なら120%死にませんのでご安心を。
近親者側の目線でまーさんが記事を書いてくれてます。
嫁とは立場が違いますが、目の前で発作を起こす私を何度も見てるのは同じ境遇です。なるほど、、、周囲からはそんな風に思われてるのかぁ、と安心する一面もありました。是非、ご一読ください。
初めての発作後にとって良い知識となる
パニック発作を発症して、救急車を呼んだけど何とも無かった。無事だった。
という経験は後の治療にとっても、大きく影響します。パニック障害は”パニック発作が何度か起きる病気”です。
つまり、パニック発作や似たような予期不安が起きた場合に、、、
「最悪、救急車を呼んでもらえば大丈夫だ」
という深層心理は、不安で頭が一杯になる中で、必ず自分を助ける記憶となります。
パニック発作を何度経験しても、そう簡単に慣れるものではありません。同じパターンと分かっていても、「ヤバイ、、、呼吸がしづらい」というような感じから、「発作が起きたらどうしよう、、、」となって、そのまま思考は悪い方向へ向かう道しかありません。
中でもありがちなのが「いつもの発作とちょっと違うからヤバイ」という発作。
ですが、「救急車を呼べば良い」と分かっていれば、周囲に人が居るだけで何かあった場合でも、救急車の手配や何らかの手当に困ることは絶対に無いです。
こう考えると「人混みの方が安心だ!」とすぐにはならないでしょうけど、やがて適度に人が多いトコが安心出来る場所である、と理解出来るようになるかも知れません。
そう!私達は救急車があれば、助かる人たちなのです。
そういう自覚を持ちましょう。そこから始まる治療もあります。
あと過呼吸症候群(過換気)の症状の方とかも、同様に発作が起きて気がついたら救急車の中だった…とかよくある話だそうです。
大丈夫。私達は救急車で助かります。しっかり意識してください。
安易に救急車を呼べ!という事を主張してるのでは無く意識化の問題です、誤解しないでくださいね。
救急車という浮き輪を持って海に出る
パニック障害を発症すると、その発作の恐怖や数々の不定愁訴と呼ばれる不調に、長期間苦しむ事となりますが、周囲から中々理解されなかったり、自分だけで悩んでしまったり、患者は一通りその殆どの苦しみを経験します。どれほど本やネットに情報が出ていても、経験者やパニック障害の先輩が語る事を私達患者は繰り返し経験します。
そんな中、いくつかの確かな浮き輪を見つけながら、治療していく事が寛解や完治への一歩となります。
ここで言う「浮き輪」とは、病気の回復過程において、お薬を始め安心出来るものや回復に必要な情報等を指しています。
確かな浮き輪のその1つが、私は”救急車”であると考えています。
当然お薬や呼吸法、ツボ押しやストレッチ、その他ありとあらゆる対処法は言われていますけど、救急車ほど確定要素で安心出来るものは他に無いと思います。
私達はお母さんのお腹の中で、羊水という海の中に誕生し、何十年間も人生という海を泳ぎ続けるワケです。
パニック発作やパニック障害だけに限らず、うつ病も自律神経失調症も色んな大病含めて起きてしまったトラブルは、長く泳ぎ続ける広い海の中で「溺れる」と言うアクシデントと考えてください。
また泳ぎ始めるには、誰かの手助けやサポートが必要だったり、また溺れたりしても大丈夫なように練習をしたり、何度もトライしなくてはいけません。そんな中でまずは、”日本には救急車がある!”という精神的な浮き輪を持って、日常生活という海で泳ぐ事から再スタートさせる事がとても重要だと思うワケです。
前回の「初めてのパニック発作と救急車と私~その1~」にも書きましたが、起きてしまった経験や書き込まれた記憶は中々消す事ができません。
しかしながら、その経験や記憶を使って私達は必ず回復へ向かう事も間違い無いのです。
2編に分けてご紹介した「初めてのパニック発作と救急車と私」ですが、私が申し上げたかったのは、病気には必ず原因があって、その経験や記憶の中に不安もあれば、”助かった”とか”大丈夫だった”という良い記憶も必ずある。
そういった良い記憶を1つ1つ拾い上げて、今のご自身の記憶に上書きして、自分なりの回復への道を見つけてもらう事が、どんな名医よりも優秀な治療法である事を、私や完治された人たちは知っています。
私達は必ず回復します。逃げずに向き合って、1つ1つ積み上げていく。
3年後、5年後に笑って過ごす為に、ほんの少しだけ今は辛い時間を乗り越えましょう。
それではまた。長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。
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救急車を呼ぶことは勇気がいることで、実際になんの異常もなかったとなると、症状に対して過剰になり過ぎでしょ?と思われるんじゃないか…とか、なんか申し訳ない…と思ってしまいます。
またTVやメディアでは「安易に救急車を呼ぶ不届き者」を取り上げたニュース等もあり、パニック発作ごときで救急車を呼んで良いのだろうか…と逆に経験のある方は思ってしまいます。
ですが、ここでは最終的な判断材料として「救急車が呼べる」という事実が、私達パニック障害の患者にとって、とても安心出来る存在である事を説明したものになります。
「救急車を呼んだら助かる」
というお薬を記憶に入れて、発作を乗り越えれるトレーニングをやる事も、今後のブログで紹介していきます。
※パニック発作で救急車を呼ぶかどうか事前に聞いてみると安心できます。
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※お子さんの場合は…
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