ふーさん

僕が薬を辞めようと思った理由

いつまで薬を飲めば良いのか

メンタルヘルスの方の多くは、この疑問にぶつかった事があるのでは無いでしょうか?
風邪であれば2〜3日処方された薬を飲んで終わり。

ちょっとした感染症でも決まった日数、抗生剤なんかを飲んで終わり。

メンタルヘルスのお薬だけは、そうはいきません。
殆どのパターンで、症状が落ち着いてもそれをキープする為に1ヶ月以上の服用をするのが一般的でしょう。

そして数年単位での長期服用をする人も少なくありません。

そんな中今回は、僕がなぜ薬を辞めようと思ったのか?理由やその状況について書いてみようと思います。

飲み始めた経緯

詳しくは、、、

闘病13年!パニック障害の完治を目指す「ふーさん」の自己紹介皆さんはじめまして! このサイトhttps://panilove.com/ の管理人、ふーさんと申します。 敬称略で「ふーさん」と呼...

こちらを御覧ください。

パニック障害発症後からの服用になります。
元々20代後半くらいから、自律神経失調症のような自覚症状があったように記憶しています。

それを誤魔化すように、お酒の量と機会が増えました。

薬を飲むようになって、更にそれは増えました。
精神薬を飲むとお酒への耐性も上がる事例は多いようですね。

私はお酒と薬を同時に服用していましたので、乱用です。
あまり良い事ではありませんので、もしまだ服用中の人はお酒を減らす事からトライなさってください。

唯一無二の親友M モザイク無くても大丈夫だろう(笑 福岡でも有名な安く飲める1000ベロ酒場「角屋」友人Mは顔が真っ赤になるくらい飲んでるが私は素面。まだまだ飲めるって感じの顔してますが、おそらく二人で2合瓶を4〜5本空けた後のご様子。

私の酒豪っぷりは地元でも有名なレベルでした。
焼酎であれば1晩で5合飲んでた時期もありましたし、それにプラスワインを1本とか、スパークリングを1本とか。

単純に年齢と共に酒に強くなったんだろうと思っていましたが、おそらくは精神薬によるアルコール耐性が上がったのも大きな要因だと思います。
気が付かないうちに”酒に強くなっています”。ストロングゼロの焼酎割りwや強い酒じゃないと、酔えなくなったらガチで危険サインです。

私はシャンパン程度なら、炭酸水のようにスルスル飲める程度まで悪化していました。酒は少量で酔える方が正解です。あと質の良いアルコールの摂取をおすすめします。ストロングゼロは完全にアウトなアルコールです。脳やられます。

精神薬の依存も恐ろしいですが、アルコール依存症は完全に死ねます。
何を隠そう、私の父はそれで命を落としてます。

父も酒は元々強くなかった人です。
私は酒で心を壊して、父は酒で命を壊したのかもしれません。

飲酒運転とかバリバリ余裕です

辞めようと思う前に起きたいくつかの疑問

服用開始しても、パニック発作のような症状(突然の動悸、不安発作、意識がボー)は不定期で発生していました。

僕の場合は特に、夕方〜深夜に掛けてが多かったです。

動悸発作は深夜の2時頃が一番多く、不安発作は夕方〜夕飯時、意識ボーは午前中起床後から発生してたり、、、。なんとなく規則性はありましたね。

薬を飲めばすぐに治ると、当時は信じてたのでショックでした。
調べれば調べる程に、薬でなく呼吸だったりトレーニングだったり、僕の一番苦手とする「コツコツする事」が効果的という情報を知ります。

そして極めつけは、服用から1ヶ月くらいした時に、人生で最大級の胃の不快感で悩んだり、寝汗が尋常では無くなったり、所謂”不定愁訴”が頻発します。

それでも薬が増えたり変わったりしながら、私ふーさんは耐え抜いて仕事に家庭に遊びにいつもどおり過ごすわけです。

身体は悲鳴を上げてたようです。

その時33歳くらい。

「なんで?薬を飲んでるのに症状が安定しない」

「おかしい、、、経験したことない不調が出てる」

病院にも1ヶ月に1回定期的に通い、処方通りに薬を飲んで、不調を言ってはその処方は増えたり変わったり、、、そんなこんなで1年1年と過ぎていきます。

「いつ治るんだろ、、、なんで安定しないんだろ」

薬物治療に関して考えると、常に疑問しか持てませんでした。
それを忘れるように、毎晩記憶がおぼろになる程酒を呑みました。

薬と酒があれば、疑問を忘れて毎日なんとか生きていけてました。

それはそう長くは続かない事を、40歳手前にして知ることになります。

小学校2年からの付き合いMと出会って30年 はまもなく40周年になります。本当に親友中の親友。この頃から不定愁訴は酷くなっていってました。

 

増えていく不調と消えぬ発作

服用から7年くらい。
ありとあらゆる不調が身体に起き始めました。

もう精神的にいっぱいいっぱいでした。
夫婦間もうまくいってなく、仕事も失敗続き。
経済的にも追い込まれて、仲間も離れていき、子供もまだ小さく、孤独を感じながら家庭の中で過ごすことになりました。

薬を飲んでいれば、安定するはずなのに、、、
せめて発作が消えてくれれば頑張れる!
食欲減退してるのが異常だ、、、

何かが間違ってるんだ!と、私は今まで以上に、強く疑問を持つことになります。

そして不調の頻度と時間が増えてきます。

今まで月に1回くらいだった、深夜のパニック発作が週に1回とか連日とか、続くようになり、慢性的に肩こり首コリが酷く、ふらつきや軽めのめまいが常にあるようになります。

今の離脱症状ととても似ていましたが、それよりも軽い感じ。

私は、、、

「薬の副作用が強くなってきたんじゃないか?」

と思い始めます。

あちこちに不調が出てた頃。2012年オクトーバーフェストin福岡にて、売り子してました。金も無かった。

一度リセットしたい

その時は既に6年以上服用をしていたので、後戻り出来る感じでも無かったですが、常に「いつまで飲み続けるんだろ、、、」っていう疑問を持ちながら飲んでいました。

そして仕事内容も変わり、現パートナーのまーさんと出会ってから1年少し、自分がパニック障害である事を告白します。
(逆にまーさんからも指定難病者である事を告白されますw)

自分の病気の事を、仕事やプライベートな仲間に話すのはとても勇気が要りますが、僕は結構そういうのは気にせず「実はパニック障害なんよ^^」って感じで話をしていました。

しいて言えば、僕の2人の子供には話してませんでしたね。
やっぱり伝える事に抵抗を感じてました。
弱い父親を見せたくなかった。(この話はまた別の記事で)

仕事をする中で、まーさんと打ち合わせをしている時の不調がどんどんきつくなっていき、仕事が終わった後の夕食会等でも、食べれない時がありました。

・首や背中の強烈なコリ(まーさんは”鉄板入り”と言ってました)

・軟骨の唐揚げ数個で襲ってくる膨満感

・頭が回らないアイディアが浮かばない話が入ってこない

まーさんと仕事後の食事会?かな。この頃はもう食事が摂れず、酒だけを飲んでるだけでした。最悪です。いや最悪なのは髪型です(笑

主としてこれらの症状が慢性的に起こっており、新たにメンタルヘルスをこじらせた?という不安と、薬の副作用かな?という疑念とが入り乱れ、どうして良いか分からないと弱音をまーさんに吐く事が増えました。

当然、家庭でも妻に同じように相談はしていましたが、「薬を飲め」とか「ヨガが良い」とヨガのインストラクターをしてた妻から教えをしてもらう事もありましたが、私の心の本質と向き合ってくれる事はありませんでした。それが一番つらかった。

いつしか僕はこう考えるようになります。

人生をリセットしたい

薬も仕事も家庭も辞めて、まっさらの自分に戻りたい。
そんな風に思うようになりました。

今考えると、追い込まれていたんだな、、、と自分で自分に同情します。
こうして書いてるだけで、胸がエグられるような心情です。

失敗して断薬の事を調べ「離脱症状」を知る

浅はかにも、安易に精神薬「コンスタン」と「レスタス」を一気断薬しました。

中止した3〜4日後から強烈な不安感やめまいが襲ってきました。
その「離脱症状」についての説明はここでは割愛しますが、一言で言うなら”この世の地獄”です。

おそらくこの世に存在する”苦痛”の中でもランキングはかなり上位だと思います。

一気断薬により、想像以上のダメージを食らった私。
慌てて調べる事で、「ベンゾジアゼピン離脱症候群」とやらを見つけます。
(↑調子の悪い時に調べないで下さいね。地獄に突き落とされます)

そして、「アシュトンマニュアル」とも出会い、その他”断薬サバイバー”の方々のブログをたくさん発見します。

この時に思っていたのは、、、

「自分にも出来そうじゃね?」

という甘ったれた、バカな予想でした。

数年前に読んだ小倉謙(おぐらゆずる)さんの本。精神医学に関しての暴露が書かれています。信じたくないような内容ですが、歴史や事実を元に書かれていますので、、、、

飲み続ける恐怖

今まで知らぬが仏で飲み続けた精神薬。

パンドラの箱を開けてしまった私。
精神薬を飲み続けるといずれ”離脱症状”がやってきて、死のスパイラルになる。

アシュトンマニュアルを読みながら、ガクガク震えて今まで知らなかった「精神薬の現実」とやらに恐怖します。

海外では長期処方が禁止されていて、スポットでしか飲んでいないとか、「ベンゾジアゼピンの長期投与が問題」みたいなニュースがチラホラ出てきたのもこの頃。

そして、私が断薬を決めた頃には、各メディアでもベンゾジアゼピンやSSRIの多剤投与が問題視されているような報道がかなりありました。

それを見て更に震える私。

7年前の6月29日。一気断薬に失敗し、当時の嫁の実家で慌てて再服用(大量)し、ヘロヘロになりながらも田植えをして芋掘りまでした後の私。すごいね丁度7年前なの。

今まで知らなかった事を知って、自分が惰性で飲んでいた薬が本当は危険なものであると自覚した事は勿論、取り返しのつかない状態に自分が居るんでは無いか?という不安で、薬そのものが怖くなりました。

辞めるしか無い

辞めてから別の治療をしよう

まだ完全に断薬をしていなかった私は2014年の6月、一気断薬に失敗して酷い離脱症状を感じながら、私は断薬を決意しました。

しかしその道は決して簡単ではありませんでした。

断薬を決めた理由

断薬した理由ですが、細かく言うと実はたくさんあったりしますが、ここでは大きく2つ。

その前にちょっとだけ余談ですが、世の中には「薬否定派」なる人たちが居る事をご存知でしょうか?

有名なU医師なんかがそうですが、、、

私は単純に『薬が危険なモノ』みたいな極端な思考でもなく、U医師のような主張は一切ありません。
とは言え、U医師の本や主張は、おそらく正しい情報であると思いますし、医療否定という部分においては、自分の想いと一致する部分もあるので、U医師の是非を私の中では決めていません。

陰謀論者とかエセ医者とか書かれてますけど、そういう主張をしてる人は一切信用しませんw
でもそう言うと、「あ〜Uと同じ思想のカルトだな」とかそういう扱いを受けます。

本当に困ったもんです。

U医師の件に関わらず、投薬肯定派や現に服用している人と対立する事はすごくありました。僕からしたら、治るなら飲めばいいじゃない?僕は7年も飲んで治らなかったんだから、否定的で疑問視してもいいよね?って話なんです。
薬を飲み続けてる人たちを一切否定していません。医療と治療は最終的に自己責任です。

話が反れましたので元に戻します。

薬が必要な場合をよく考えず、安易に薬を飲み続ける事に恐怖を感じたのが本意であります。

私は現状では死ぬまで精神薬を飲むつもりはありません。

1,飲み続ける事にリスクがある

という事と

2,投薬を辞めてこその完治

と決めたからです。

新しいパートナーの為に、健康の不安要素を排除したいという想いもありました。
断薬のせいで、大失敗なんですけどね(笑
不安要素どころか、不安まみれにさせちゃいました。

でも、ある意味ハッキリ分かってていいですよね。

自殺未遂の後、お互いの関係修復の為に熊本地震の「ふっこう割」を使って別府の最高級ホテルへ!漢方を飲みながら別府の街を散策。ガラの悪い外国人旅行者ばっかりだったので、「別府二度と行かん!」とキレた二人。また元気になったら、行こうかな。

減薬や断薬をしながら、苦しい時に「癌」や「脊損(脊髄損傷)」などの、とても苦しい闘病をなさってる方々の書籍やブログ、動画等に多く触れました。

そうしていく中でパニック障害があっても、薬を飲んでコントロールするのでなく、パニック障害やうつ状態を”本当に”受け入れながら生きるコントロールをしたい。ここ1〜2年では、闘病人生も悪くないんじゃないか?
そう思えるようになりました。

よくある「病気を受け入れる」とか「上手に付き合う」と言うものでなく、本当は治りたい!元の身体に戻りたい!そういう気持ちをギンギンに打ち出して、「クソ〜昨日発作きたわ〜〜」とか「あーーー今日はダメだーーー」なんて叫びながら生きる事って出来ないかな?と。

必要なのは薬じゃない。
原疾患を受け入れて、療養し続ける事。
諦めずに死ぬまでが闘病&療養。そんな奴が居てもいいはずです。

本当の意味で「パニック障害では死なない」を体現してみせます。

また、断薬を強くおすすめするポイントとして、、、

災害時薬が手に入らなくなったら詰む

これだけを考えても、災害の多い日本では薬を辞める良い理由だと思います。
まぁ薬に関しての考え方や捉え方は、人それぞれ。

辞めた方が正解なのか間違いなのかは分かりません。

とにかく薬を辞めた理由は、こういう事になります。
本音を言えば、投薬で安定してた頃に戻りたいという迷いはありますが、それはそれで満足出来ないと思います。

おまけ:断薬をして思うこと

断薬して良かった事。

特に無いんですよね(笑。
しいて言うなら

ポケットやカバンに薬を忍ばせる心配をしなくていい

といったところでしょうか。

投薬中はありとあらゆるトコに、薬を忍ばせては動悸が来たらパクリと飲み込む。

あらゆる身体の不調が強まった時にはまず、「精神薬」そういう精神依存になってました。
机の上から、仕事の車、食卓からいつも履いてるズボンのポケット、ジャケットの内ポケット、、、本当にあちこちに「デパス」や「コンスタン」が入ってました。

これを心配しなくていい。

分かる人には分かると思いますが、薬を所持しなくて良いという事が、どれだけの安心材料か。

でもそれを手に入れた私ですが、今はその現実に満足出来ていません。

断薬はあくまでも通過点です。

断薬をする事で、そのまま完治する人も知ってますが、私の場合は比較的安定している状態で辞めたので、服用中よりも悪化してるのが実情です。

コロナ逃れで行った阿蘇の大観峰。気圧にやられて、動悸&めまいでグワングワンなりながら到着。阿蘇の麓で「もう無理、、、帰ろう」と40過ぎのおっさんが泣いたのは、良い思い出。

断薬から6年。
まだまだ道の途中ですが、皆様へ私の想いや考えをお伝えして、断薬を望まれる方々の助けになればと思っています。

その喜びの声が、数少ない私の「断薬をして良かった事」でしょうか。

皆さんがもし断薬なさっていたり、もしくは減薬中で断薬へトライしてる方。
良かったらコメントで「断薬した理由」を教えて下さい。

ではまた!

(思いつきでわーーーっと書いたので、後日修正するかもです 2021 06 29 まさかの一気断薬失敗から7年目の記念日)

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ふーさん
福岡在住のブロガー パニック障害(症)・自律神経失調・鬱病・自殺未遂,,,etc 数々のメンタル疾患を経て寛解に至ったおっさん 完全完治に向けて発信中

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