みなさんこんにちは。このサイトにたどりついてくださってありがとうございます!
このブログでは、基本的に「ふーさん」や「パニック障害」について書いていますが、この「親友との想い出」というカテゴリーでは、私の親友”M”とのこれまでの想い出や、考えていることなどを書かせてもらっています。
完全に個人的な内容になりますが、ぜひお時間のある方は読んでみてください^^
高校で出会ったM。
性格は真逆なのにあっという間に意気投合して、高校時代の想い出のほとんどが彼女との時間と言ってもいいくらい一緒にいたのが、私の人生で一番の親友Mです。
そのMが、出産後の育児ストレスからパニック発作を起こしたあと、パニック障害の診断を受けました。それ以来、10年以上の投薬治療を続けた末、今から7年前にこの世を去りました。
このブログは、私から彼女への手紙のようなものです。
30年ちょっとの命。決して長くはなかった命。
だけど、これから先も私が生きている限りはずっと私の心の中に生き続ける、人生に一番影響を与えてくれた大きな大きな存在の彼女。
最期の数年間は、薬の副作用のせいで精神的にも肉体的にも不安定だったので、たくさんの人に対して攻撃的だったり、普通じゃないような雰囲気になっていました。
「人が変わった」「怖い」「何考えてるかわかんない」「なんか・・・会いにくい」
と思われて、周りの人に誤解されたままでした。
私自身も、パニック障害や薬の副作用、離脱症状の知識が少なすぎて、彼女を誤解したままの部分がすごく多かったです。いまこうやって自分の彼氏がパニック障害になってから、ようやく少しずつ彼女のことがわかってきた気がします。
これからどれだけ時間がかかっても、彼女に対するみんなの誤解を解いていきたい。
本人の気持ちとは関係なく、病気や薬のせいでどんどんと変わっていってしまうのがこの病気だと思います。でも、なかなか理解されにくく、「おかしくなった」「人が変わった」と思われて、いつの間にか人が離れていってしまう。そして、その結果、人が死んでしまう。
それを目の当たりにして、後悔してもしきれない自分の体験を書き残したい。と思ったことが、私がこのブログを始めたきっかけのひとつです。
”Mがどんな気持ちで最期を過ごしていたか、精神疾患で破滅的になっていくときに、周りの人が離れていくことがどれだけ辛いことだったのか、いなくなった後に私に残してくれたメッセージはなんだったのか。”
私の自己満足かもしれませんし、Mが生き返るわけでもありません。
でも、彼女の七回忌が終わり、私自身の棚卸しも兼ねて彼女との想い出を残していきたいと思います。
そして、闘病でどんどん変わっていくMの姿を一番近くで見ていた一人息子の”H”。当時まだ小学生だったので、自分の母親のことをすべては理解できてなかったと思います。
彼女がどんなに素敵な女性だったのか、彼女が悪いんじゃないこと、病気のせいであんな風になってしまっていたこと、それをこのブログで書いていきます。いつか彼女の息子”H”にも届きますように。
*ーーー*ーーー*ーーー*
※Mのご家族の了解の元、Mが受けていた治療内容や、どういう風に過ごしていたかなども書いていく予定です。まだまだ苦しみを抱えている中、私の考えに理解を示して快く了承してくださったご家族に心からの感謝を込めて。
[…] パニック障害だった親友Mとの話①はじめに産後うつからパニック障害を発症して、大量の向精神薬を処方され続け、一気断薬後に自ら命を絶った親友M。私からMへの手紙のようなブログ […]