ご無沙汰しています、まーさんです。
前回のブログ更新から1ヶ月以上経ってしまいました(汗
あっという間に冬が終わったどころか、私が住んでいる福岡は桜も散り始めていて、春を通り過ぎて25℃を超える夏のような日もあります。みなさんはいかがお過ごしでしたか?
3月28日はふーさんにとってとても大切な日でした。遅ればせながら、新年度第一日目にブログを更新したいと思います。相変わらず計画性のない更新頻度の私まーさんです。
今回はふーさんの断薬6年を迎えて、私の棚卸しのような内容になっています。春らしいうららかなものではありませんが、よろしかったら最後までお付き合いください!
6年前の3月28日、ふーさんが断薬をしました
ふーさんが長期に渡って服用していた向精神薬を飲むのを止めようと決意したのが、今から6年前の3月28日。
ちなみに、毎年この日を迎えるときにホールケーキを買ってくるんですが、飾りのプレートに「○年断薬おめでとう」と書いてもらっています。そしてそのケーキを見たふーさんが「別にめでたくもないんだけどね」とポツリとつぶやくのところまでが毎年の断薬デー恒例行事。
断薬してからずっと続く強烈な不調の中、「断薬をして何年」ってめでたいことじゃなかったんです。ずーーっとふーさんはあらゆる不調に苦しみながら、今日という一日を生き抜くのに必死でした。
昔できてた普通のことができるようになって(お酒を飲んだり、飛行機に乗ったり、一人の留守番が怖くなくなったり)、断薬や体調が悪いということ自体が遠い存在になってくれたら何よりなんですよね。ふーさんにとっては、断薬してから何年経ったかよりも早くこの不調がなくなることが望みなんですよね。
そういうふーさんの複雑で悔しいという心の奥の気持ちを、汲み取ることができない私。自分自身にため息しかでない。
6年前を振りかえってみる
自分の戒めのため、改めてふーさんが断薬を決意した6年前を振り返ってみたいと思います。
結論から言うと、「6年間、私はふーさんをサポートできてなかった」です。
言い換えると、「ふーさんばっかり頑張ってて、私なんにもやってなかったじゃん」です。
さらに正直に言うと、「あのときの私の間違った行動が、ふーさんの回復を著しく遅らせた原因になってしまった」です。
ネガティブなスタートですみません(苦笑)でもトータルで考えると、サポートよりもふーさんの足を引っ張っていた時間の方が長かったと思います。
もともと私は仕事のパートナーとしてふーさんと10年間近く一緒に活動をしていたので、ふーさんのパニック障害については割と理解しているつもりでした。内海聡さん(医師)の『心の病に薬はいらない!』という本がきっかけで、向精神薬に対する疑問も持っていました。
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“title”: “心の病に薬はいらない!”,
“description”: “2013年の発売当時にはまだ珍しかった、断薬方法などが書かれた本です。著者の内海先生はなにかとネット上で話題になるのでご存知の方も多いと思います。賛否両論あるのも知っていますが、私はこの本のおかげで向精神薬の怖さを知ることができました。ワタシ的注意点は、この本を読むと「薬を飲むのが怖くなってすぐに断薬をしたくなる」ことです。急な減薬断薬は危ないので、必ず計画性を持って取り組んでください。”,
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向精神薬を飲んでいても、改善せずに徐々に普通の生活ができなくなる人の存在も知っていました。ふーさんと知り合う前から私の親友Mが産後うつがきっかけでパニック障害を発症していたこともあって、「パニック障害」という病気がとても身近なものでした。
そして、ふーさんからアシュトンマニュアルの存在を教えてもらって、にわかながらにも”減薬や断薬すると離脱症状で苦しむ”ということも知っていました。
でも、向精神薬をずっと飲み続ける怖さを考えると、いつかどこかでふーさんが薬から離れることができたらいいなぁと思っていました。
(あくまでも私の考えです。人によってお薬を飲むことで症状を抑えていたり、安定していたりすると思います。みなさんに積極的に断薬を勧めたいわけではないのでご理解ください)
そして、断薬を決断したふーさんの精神面がどんどん不安定になってきて、それと同時に私の心がふーさんから離れていっていました。この頃からふーさんのことと、そして私の置かれている立場に恐怖を感じていました。
もう無理だ、と思った瞬間
ちなみに、この恐怖というのは暴力的な「怖さ」じゃないです。
メンタル崩壊してどんどん壊れていくふーさんと、精神的不安と肉体的苦痛からくる私への理不尽な要求(と私は感じてしまった)で、あっという間に私のキャパオーバー。
もともとぬるま湯で甘ったれて育ってきたこともあって、いざ経験したことのない極限の状態に追い込まれたら逃げ出してしまったヘタレな私。いくら心意気があったとしても、現実目の前にいる「精神不安定なふーさん」を見てどうしていいのかわからなくなりました。
その当時の私の心の中は「私だって頑張ってるのに」という気持ちでいっぱいでした。
家族との離別、断薬の離脱症状、仕事での負債、さまざまな社会的トラブル。
そしてサポートすると豪語していた私の気持ちや存在が少しずつ離れていくのを感じる中で、ふーさんがどんどん痩せていってギスギスしていっていろんな症状が現れてとにかくどん底の毎日。(本人曰く、当時体重が半年で12kg減っていて、友達や親戚から「癌なんじゃない?」と心配されていたそうです。)
治療の可能性を求めて、断薬クリニックやたくさんの民間療法施設を2人で訪れました。その道中、ふーさんはヤク中のように怯えながら漢方薬を飲んだりブルブル震えながら耐えていました。人から見るとカップルのドライブに見えたかもしれませんが、私達にとってはあの頃のドライブは決して楽しいものではなく地獄巡りのようなドライブでした。
そうやって一緒に過ごす時間はあっても、ふーさんは常に怒りや悲しみや苦しみに満ちた目で私を見ていて、ときには衝突したり、感情が爆発したりすることが増えて、私はそんなふーさんの言動や行動を見てますます他人事のように見ていたと思います。
「ふーさんが苦しいのはわかる(実際は100分の1もわかってなかった)。でも、サポート頑張ってる私だっていっぱいいっぱいだよ。家の仕事だってしなくちゃいけないのに、ずっとふーさんに付き合っとくのは無理だよ。」と言い訳と自己弁護の毎日。
そしてある日、2人で公園の駐車場に車を止めて話をしてたときのことです。いつものようにふーさんからとめどなく溢れてくる、とらえどころのないような支離滅裂にも思える訴え。
実際に断薬後は、記憶障害や言語障害、失語症のような症状がありました。いわゆる認知症のようなお年寄りのように、同じことを繰り返したり、言葉が出てこなかったり、突然泣き出したり怒ったりするような状態でした。
話はそれましたが、車内の中で自分がふーさんに対して冷たい態度、突き放すような態度を取っていた自覚があります。そして、どんどんそっけなくなる私に対して「自殺する」と言い放ってふーさんは車から飛び出しました。ふーさんはサバイバルナイフを手に握りしめていました。
公園の暗闇に消えていったふーさんから断末魔のようなメールが届く中、「どう対応していいのかわかんないよ。これ以上ふーさんを支えるのは無理だよ」と思った瞬間でした。
あとから聞いた話ですが、この時ふーさんは「私を殺すか、自分が死ぬか覚悟してバッグにナイフを忍ばせて私と会うことを決めていた」そうです。
その後の結末ですが、ふーさんは自殺することなく私を刺すことなく事なきを得て帰宅できました。センシティブな内容なので詳細は省きますが、人はここまで普通じゃなくなるのかとゾッとした瞬間でした。
向精神薬の添付文書を読もう
下の図は、数年前までうつやパニック障害と診断された多くの方に処方されていたパキシルという薬の添付文書の一部です。簡単に刺激を受けたり、攻撃的になったり、衝動的に自殺を考えたり他者への攻撃が出るとしっかり記載されています。
パキシルだけが特別なわけではなく、向精神薬全般には多かれ少なかれこういった症状があると記されています。
すべての人に自分が飲んでいる薬の添付文書を読むことをお勧めしたいのですが、体調が悪い方にとってこの文字ばかりの添付文書を読むのは辛いかもしれませんし、内容に恐怖や不安を覚える可能性もあるかと思います。
だからこそ、本人の代わりに家族やパートナーが「処方されている薬」を洗い出して、しっかりと添付文書を読んでみてください。「○○(薬の名前) 添付文書」と検索したらすぐに調べることができます。
添付文書を読んだあとには、こんな薬を飲み続けて症状が良くなるのかと不安になると思います。不安を感じたときはぜひ主治医に聞いてみてください。そして先生がどういう反応をされたかどうかぜひ教えていただけたらありがたいです。
薬を飲んで良くなる人、悪化する人、百人いたら百通りの反応があるはずです。先生が「そんな症状はあまり出ないはずだよ」と言ったとしても、本人の訴えに耳を傾けてあげてください。
精神薬(とくにSSRI)の副作用や離脱症状等が原因で、他者への攻撃性が強まることが多いようです。それが人へ向けば暴力や殺害になるし、自分に向けば自殺や自傷行為。
精神疾患の患者さんが身内や周囲の人を傷つけたり暴行したり、または、自傷行為をするのは、原疾患含めて薬の副作用や離脱症状などで精神状態が不安定になっているからだと思います。
誰も傷ついたり傷つけたりしないためにも、周囲はとくに注意しておく必要があります。
ふーさんからのお願いと、ギクシャクした関係
この事件の前後のふーさんは、「症状がきつくて死にたい。でも死にたくないから助けてほしい。でも助けてくれない」みたいな葛藤の毎日を過ごしていて、毎晩襲ってくる「自殺したい」という感情と戦ってタオルを噛み締めて叫びながら泣いて夜を明かしていたそうです。
私がたまに電話しても罵詈雑言を浴びせられることが多く、その結果、私はそのふーさんを捨てるような形で離れました。
この年の春、ふーさんが離婚した頃に1度目のふーさんとのお別れ。公私ともに支えるじゃなく、単に病気の理解者としてできる範囲内でサポートする感じでのお付き合いをしていました。そしてその年の夏のサバイバルナイフの事件以降、私の中の「どんな形だったとしてもふーさんを支える」という気持ちが音を立てて崩れました。
”ふーさんを治すための方法がわからない。もう罵声を浴びたくない。怒られたくない。”
そんな気持ちでいっぱいでした。
でも、なんとしてでも生きていたい、死にたくない、これ以上誰も傷つけたくないふーさんは、絶対に許せないであろう私に対して助けを求めてきました。恥もプライドもこれまでのステータスもすべて捨てて、私に「助けてください。お願いします。」と懇願してきました。
それは道端に捨てられた犬や猫みたいに、とてもとてもみすぼらしくて、可哀想とういよりも”哀れ”という言葉がぴったりでした。
私はこれまでこんなにも哀れな人を見たことがありませんでした。
それから紆余曲折あり、ふーさんの誕生月の10月にもう一度もつれた糸を二人でほどき直す作業をしようという話にたどり着きました。
とはいえ、しばらくの間は一緒に仕事をしたりご飯を食べたり、だけど心の通い合ってないようなギクシャクとした関係が続いていました。
ふーさんはもともと男らしくて、体力も人一倍あって、プライドが高くて、仕事もできて、遊びの天才のような人。そんな人が、どんな気持ちで当時私に頭を下げて「一緒にいてほしい」と言ってのか。情けなかったなんかのレベルじゃない、屈辱のような日々だったと思います。
そんな関係が続いていました。
最近のふーさんと私について
数年経って徐々に自然な関係に戻りつつ、断薬から6年経った今こうして隣にいます。
それでも、これまでにふーさんに与えた大きすぎる傷と、取り戻せない時間と信頼、断薬から6年経っても未だにいろんな症状に苦しんでいるふーさんの心と身体。
相変わらず目まぐるしく入れ替わる不調に苦しみながらもなんとか毎日を過ごしています。最近は右肩から腕にかけての激痛がひどく「腕を切り落としたい」と何度も何度も泣いています。
あの当時、私がふーさんから逃げ出さなかったら、きっと目の前にいる今のふーさんは体調も今より全然良くて、毎日笑ってて、持ち前のエネルギッシュさを活かして仕事を立ち上げたりしてたかもしれないです。お酒も飲めて、一人で電車に乗ったり、運動したり、写真を撮ったり、楽しい時間がもっと多かったはずです。
絶対に今よりずっとずっとマシな毎日だったはず。
でも現実は、腕が痛くて大好きなカメラを持てなくなるかもしれないって泣いてます。どんなに前向きに生きようとしてても、痛みで体が思うように動かせないんです。
「どんな悪いことを俺がしたんだよ」と言うけど、ふーさんはなんにも悪くない。「生きたい」と思って必死だったふーさんを助けなかった私のせい。
弱った心と体を救うのはあったかい心
とりとめのない長文になってしまいましたが、今回のふーさん断薬6年で私が伝えたいことは、、、
精神疾患で苦しんでいる人には、必ず助けが必要です。心の叫びを聞いてくれる人や、それを受け止めてくれる人、治るために二人三脚で寄り添ってくれる人が必要です。
心療内科で薬をもらって飲んでも、一時的な症状は改善するかもしれませんが根本的に治るものではないと思います。
不器用でもいいから、心から心配して一緒に治る方法を模索してくれる存在が必要です。
なので、もしこれを読んでいる「家族や恋人、友達がパニック障害やメンタル疾患」という方はずっとずっと寄り添ってあげてください。あなたの大切な人はあなたを必要としています。
断薬6年からの卒業と新一年生のスタート
そして今日から新年度スタート。今年度はふーさんと新しいことを始める予定です。
あえて6年断薬記念のケーキを買わなかった理由にもつながるのですが、ふーさんが「断薬」という存在にいつまでも縛られた時間軸で生きるんではなくて、新たな一歩として新しいエピソードを始めようと決めました。ふーさん自身が「完治」だったり「昔みたいな元気な自分」に囚われている限りは難しいことだったんですが、最近ふーさんの心に変化がでてきました。
不調はあるもののその時その時のできる範囲内でいいじゃん。いつか薬という存在を忘れて前向きに生きていけたらいいねって、以前からふーさんと計画を練っていたことです。
メンタル疾患や薬の副作用で苦しんでいる方、減薬断薬を考えている人、離脱症状が出ている方はもちろん、家族や恋人、周囲に理解をされてない方へ。
そして、闘病中の人をどうサポートしていいのかわからずに悩んでいる方へ。
私がやった過ちと同じような態度をあなたがとって、あなたの大切な人がふーさんと同じような苦しみを経験してほしくないです。これからはふーさんと私の経験の発信を通して、同じように苦しんでいる人達の助けになれたら、これまでのことにも意味があるんじゃないかと思っています。
病気で苦しんでいる当事者が一番苦しんでる。
このことを絶対に忘れずに、あなたの大切な人をとことん大切にしてください。私も残りの人生をかけてふーさんを大切にします。
生きててくれてありがとう
ふーさんの体調が戻らないことに対して、私はその責任のほとんどが私のせいだと思っています。そして、自分を責めることがふーさんに対しての免罪符になるとも思いません。
今、4月1日の午前2時。ふーさんが寝ている布団の横でこの記事を書いています。ふーさんの寝顔をこうやって眺められるのもふーさんが生きてくれてるから。6年前に断薬して、それから何度も何度も何百回も「死にたい」と思いながら、諦めずに生きていてくれたからです。
ふーさんの断薬から6年。ふーさん、今日まで生きててくれてありがとう。今日から新年度。新一年生としてリスタートしていきましょう。
終わりに
以上、相変わらず堅苦しい文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。いつの日かこれを読んでくださっているみなさまに幸多き日が訪れることを願って。
追伸
それにしても面白みもない笑いもない文章ですね(笑)
そしてふーさんから私への課題
「人の心を学ぶために北の国からを全話観ろっ!」
とうわけで、人生初の北の国からを絶賛視聴中です!早く人間のあたたかい心を養いたい!(とはいえTV版が24話でドラマスペシャルが8本。いつ観終わるんだろう・・・)